「光のセミリタイア」と「闇のセミリタイア」
どうもだすとです
最近思うんですが、「セミリタイアに向いている人はこういう人!」みたいな言説って、あまり好ましくないなって思うんですよね
もちろん孤独耐性があり、節約が苦ではなく、人付き合いが煩わしい人種のほうが向いているのは確かなんですが、なんというかそういうのって"本質"ではないんですよ
セミリタイアの本質は"アンチ労働"なんです。より正確に言うと、日本の固定化した労働文化のアンチです
正社員労働に適応できず、職場に迷惑をかけ、自信を失い、死んだ目をして毎日電車に乗る人々...セミリタイアはそういう人たちの救いになるべきです
だから、むやみにセミリタイアへのハードルを高くしないほうがいいと思います
セミリタイアは失敗するリスクはもちろんありますが、正社員労働は「確実な苦役」ですからね
まずは確実な苦役から解放されることが大事。だからセミリタイアに向いてるか向いてないとかないんです。大丈夫です、労働が苦痛ならもう合格です
孤独とか節約とかは確かに苦しいものかもしれません。でも、そういう理由でセミリタイアをしないというのは、しょせんその人の「労働嫌い度」がその程度だってことだと思います
本当に労働が嫌いなら、いくら節約が大変でも、寂しくても、「でも労働するよりはマシだな」と乗り越えられるはずなんですよ
だから、どれだけセミリタイアに向いてるかというのは、どれだけ労働を憎んでいるかに比例するんですね
労働文化に適応できず、毎日苦しい思いをして働く人々...その苦しみが、セミリタイアという目標を得て、逆に人生の原動力になる...
セミリタイアとはそういうものであってほしいなと個人的には思っていますね
だから、FIRE後も働くとか、FIREはあくまで手段とか抜かすキラキラ系セミリタイアブロガーを許しはしない
そういう「光のセミリタイアラー」は自由な社風の会社に転職すれば解決すると思うんですよ
だいいち、社会に寄生して生きていく気マンマンなくせに、さも最先端でおしゃれな生き方のような顔をしているのが腹立たしい
お前らも本質は「闇」なんだよ。ただの落伍者、逃避者、フリーライダーなんだよ
とにかくできるだけ働きたくない、苦労を社会に押し付けて生きていきたい
我ら「闇のセミリタイアラー」は、そういう人間らしい本音を吐露できる場所を守っていかなければならない
闇=人間性。やっぱダークソウルって偉大ってワケ