DUST BOX ~ 社会人1年目からのセミリタイア

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働く前から働きたくない男"だすと"がFIREを目指すブログ

「推し」という言葉が気持ち悪い

どうもだすとです


私は「推し」という言葉が嫌いです
同様に「推し文化」も嫌いです


いえ、正確に言うと推しという概念の乱用が嫌いです
おそらく発祥であろうアイドルやそれに類するものなら別に良いのですが、それ以外に使われるのが気持ち悪いなって思います


私の意見では、「推し」という言葉には対象への無条件の肯定といったニュアンスが含まれていると思うんです


そうすると、確かにアイドルならばファンは基本的に全肯定するものですよね
あいつのダンスが下手とか、歌唱力がイマイチとかいちいち批評したりはしない


アイドルはこのように「技術」を評価するものではなくて、「存在」を受容するものですよね
○○ちゃんが歌ってるから、踊ってるから、下手でも別にいい訳です(特に日本のアイドルは)


一応言っておくと、この「存在そのものを肯定」という文化自体は全く否定するつもりはないです
アイドルとして売っていなくても、アイドル性を帯びることはあり(最近の若手芸人とか)、白黒はっきりしないものですからね
アイドル文化はファンが楽しければそれでいいので、外野がとやかく言うことではないです


ただ、その文化を技術の巧拙が問われる領域にまで広げてはいけないと思うのです
厳しい批評の目を受けて育つ文化というものは確かにあり、そういったプロセスを経て生まれる価値もまた確かに存在するんですよ


最近はこの「全肯定の文化」たる「推し文化」が、本来の領分を超えやたらと広がっているように感じます


直感的には、この無条件の肯定という文化はどうも女性の方が強いように思われるのです
古来からインターネットではコンテンツに女性客が増えるとだめになるといった主張が盛んに繰り返されてきました
これは、女性客が無条件肯定の文化を持ち込んできてしまうからではないでしょうか

一方、男性はとにかくランク付けが好きですよね
本来全肯定の文化であるはずのアイドルも、数字や人気でランク付けしたりというのをよく見ます


私としては、無条件肯定の文化はやはりアイドル的なものだけでよく、それ以外の領域では自由に毀誉褒貶交えるべきだと思っています


でも、だすとちゃんはアイドルみたいなもんなのでしっかりと全肯定してくださいね