これを守るだけで分かりやすい文章が誰にでも書けます
どうもだすとです
今日は最近読んだ「日本語の作文技術」(本多勝一)という本の話をします
朝日新聞の編集委員の筆者が「わかりやすい日本語の書き方」を解説する本です
これを読もうと思ったのは、「ゆる言語学ラジオ」というYoutubeチャンネルで本書が紹介されていたからです
当時は異端に属する主張を行っていた三上章という言語学者の説を利用して本書は解説を行います
ただし、筆者としては学説論争に参加する気はなく、あくまで作文技術を考える上での実用性を鑑みて「三上文法」を取り上げます
当時の主流派は英語のような「主語」と「述語」を軸に日本語を分析をしていました
一方、三上が主張したのは「日本語は述語優位な言語であり、主語は特権的な地位を持たない」という説です
たとえば有名な「象は鼻が長い」という文章を考えます
この文章に主語を探そうとすると、「象」も「鼻」のどちらが主語なのか、はたまたどちらも主語なのか判然としません
ここで三上によると、この文章は「長い」という述語に「象は」「鼻が」という修飾語を二つ付けたものにすぎず、特権的な主語というものを否定します
主語に見える「象は」は「主題の提示」、「鼻が」は「主格」と呼びます
これらはあくまで修飾語であり、文法的にはあってもなくてもよい部分ということになります
おおざっぱに要約してしまうと、三上文法とは「日本語とは、述語にいろいろな修飾語をくっつけていく言語」という文法理論です
この文法理論によると、日本語には述語と修飾語しかないということになります
この三上文法と「わかりやすい文章の書き方」にどう関係があるのか、それは筆者の提唱した原則を実例と共に見ていけば分かると思います
【修飾語の原則】
長い修飾語は先に、短い修飾語は後に
悪い例:
チリ美人は、アルゼンチンの肉をたっぷり食べているセニョリータにくらべると、ぐっと小柄である。
この文章を読もうとすると、「アルゼンチンの」が「肉」に掛かるのか、「セニョリータ」に掛かるのか、読んでいる時に引っ掛かりを感じてしまうことでしょう
事実としては、「アルゼンチンのセニョリータ」についての文章ですが、読みづらく、誤読を招きかねません
英語流「主語と述語」の解釈でいくと、「チリ美人」が主語で「小柄である」が述語ということになるのでしょうが、ここでこの文章を三上文法で解釈すると
【述語】
小柄である
【修飾語】
①チリ美人は
②アルゼンチンのセニョリータにくらべると
↑肉をたっぷり食べている
③ぐっと
ここで【原則】を適用し、長い修飾語を前に持ってくるとこうなります
肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータと比べると、チリ美人はぐっと小柄である
どうでしょうか?一気に読みやすくなったのではないでしょうか
さらに筆者は、読点(、)は「論理的にうつべき時にだけうて。それ以外はうつな」と主張します
読点にも英語のコンマのような厳格なルールがあり、むやみにうてば論理構造すら乱すというのです
読点を打つべき時は筆者によれば次の2パターンだけです
【読点の原則1】
長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にうつ
【読点の原則2】
「修飾語の原則」の逆順で修飾語を置いたときにうつ
原則2についてはピンとこないと思うので、先のセニョリータの例文を利用して説明します
肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータと比べると、チリ美人はぐっと小柄である
この文章で「チリ美人」が主題であるということを強調したいときは
チリ美人は、肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータと比べると、ぐっと小柄である
と「チリ美人は」を先頭に持ってきます。このとき、【修飾語の原則】の逆順となっているので読点をうちます
よく見かけるように「(題目)は、」で読点をうつのはこの原則によって説明できるのです
では、この原則を適用した添削例を見てみます
悪い例:
私は人間的な感動が基底に無くて、風景を美しいと見ることは在り得ないと信じている
この文章を字面通りに読むと、筆者には人間的な感動が無いかのように読めてしまいますが、事実は正反対なのでしょう
必要な読点を欠き、不要な読点がうたれているためにこのような誤解が生まれています
まず、この文章を三上文法で解釈して述語と修飾語に分けるとこうなります
【述語】
信じている
【修飾語】
①私は
②風景を美しいと見る事は在り得ないと
↑人間的な感動が基底に無くて
①②の順番で配置したいなら、「逆順の原則」にしたがって
私は、人間的な感動が基底に無くて風景を美しいと見ることは在り得ないと信じている
とするべきです
または【修飾語の原則】に従って②①の順にして
人間的な感動が基底に無くて風景を美しいと見ることは在り得ないと私は信じている
となります
本書では、このような原則のほかに助詞「は」「が」の細かい使い方の話もあり、そちらもとても興味深かったです
...
久々に長文を書き上げたと思ったら、このブログに似合わないまじめな記事になってしまいました
作文技術を学んでもこのブログでクソ思想を垂れ流すことにしか使えないだすとであった