不得意な領域で努力しても報われない
どうもだすとです
今日はひと昔前に流行った「親ガチャ」というワードについて考えていました
ガチャのように運で決まってしまう家庭環境によって人生が大きく左右されることを嘆くこの言葉
私が思ったのは、親ガチャより、「遺伝子ガチャ」なのでは?といいうこと
このワードなら、貧乏家庭からの成功者や、その逆のパターンも統一的に説明できると思うんです
大谷選手の並外れた体格や、将棋の藤井くんの頭脳なんかは明らかに努力で到達できる領域ではなく、遺伝子ガチャの「当たり」ということはすぐに理解できると思うんですが
最近では、努力できる(未来のために現在を犠牲にできる)という性質も、ほぼ遺伝子によって決まるっていうじゃないですか
そうすると、「勉強頑張って高学歴→大企業」みたいな一般的エリートコースまでも「努力できる遺伝子に恵まれただけ」と説明できてしまいます
さらに言うと、「親ガチャ」だと親が無能なら子も無能みたいな雰囲気がありますけど
遺伝子というのはそう単純なものではなく、美男美女の子供が不細工とか、エリート一家の長男がボンクラとか、そういうことも普通にありますからね
これこそまさに「ガチャ」だと思うんですよ
まあつまり、大昔からの「才能か努力か」論争でたびたび言われてきた「努力するのも才能」という主張とほとんど同じです
いや、それよりも強い主張かもしれません。「すべては才能(遺伝子)」と言っているに等しいですから
ここで私が「遺伝子には抗えん」と思ったエピソードを話します
大学受験のとき、勉強時間のおよそ半分以上は苦手な数学に費やしていたんですよね
一方、得意だった英語は全体の1割ぐらいの時間しか費やしていません
それでも、結局数学は「苦手」が「やや苦手」になった程度で、全然時間を掛けていない他教科の足を引っ張りまくりました
何回演習問題やっても頭に定着しないんですよ。今も全然思い出せないです
英語ならマイナーな単語の用法まで復習しなくても覚えているのに
この経験から、「勉強すればだれでも学力は伸ばせる」みたいな主張を信じられなくなりましたね。結局遺伝子が適合していないと伸びないのでは、と
勉強が苦手な生徒の中には、全教科が私の数学のような状況の生徒もいるでしょうね
そういう生徒はいくら勉強したところで学力アップはたかが知れています
まあ何が言いたいのかって言うと、「不得意な領域で努力しても報われない」ということですね
あれ?なんかありきたりな結論になったな...
というわけで、不得意な「人間社会」を頑張るのではなく、セミリタイアして逃げてしまおうという人生設計をしているというわけです
セミリタイア遺伝子の命令に従って今日も生きていく...