セミリタイアと、子孫を残せという遺伝子の命令について
どうもだすとです
わたしが現在考えているセミリタイア計画は、一生独身・子無しが前提になっています
今日は本当にその前提で突き進んでいいのかということを考えていたんですよね
特に、「子無し」の部分ですね
セミリタイア後でも人間関係を築くことは不可能ではなく、なんなら恋愛も適切なコミュニティを選べば可能なので、「異性関係」はセミリタイア後に不可逆的に不可能になるわけではないと言えるでしょう
まあ、セミリタイア者といういわば「社会からの逃走者」が、恋愛などという人間関係の「摩擦」そのものの営みに向かっていくかどうか、そこは疑問ですけれども
一方セミリタイアしたら子供を持つのは事実上、不可能になるでしょう
厳密には、多少労働を増やせば育てられないことは無いでしょうが、その場合でも子供に生活保護レベルの水準の節約生活を強いることになります
貧乏セミリタイアラークラスの節制は、自分から勝手にやる分にはいいですが、子供を巻き込んだらそれはほとんど虐待と言っても良いと思います
セミリタイア者の「他人の目線などどうでもいい」という悟りは、必死で人生を生きていく中で、もがき、考え、自分で到達する境地であり、親から押し付けていいものではありません
特に思春期の子供は他人の目線に敏感になるわけで、そんな時期に友達がみんなiPhoneなのに、我が子一人だけ激安中華Android(MNPで乞食)を持たせるわけにはいかないじゃないですか
ということで私は、セミリタイアしたいなら、平均的家庭と同レベルの浪費を受け入れられる資産が無い限り、子供は作るべきでないという考えに至りました
長々と書きましたが...要は、私がセミリタイアする場合、一生子無しが確定します
本当にそれでいいのか、後悔しないのかということを考えていたんですね
現時点での私の気持ちとしては、正直言って結婚や子供を持つことへの願望は全くありません
めんどくさそ~としか思えないです。人としてどうかと思うがこれが本心なのです
ではなぜ「本当に後悔しないか」などと考えているかというと...その気持ちが永続するかわからないからです
最近よくドーキンスなど遺伝学に関する書籍を読んでいたんですが、その中に出てくる「我々のからだは遺伝子が生存するための乗り物だ」という考え、これに照らすと私もいつ遺伝子から「子孫を残せ」という命令が下るか分からないですよね
と、このように後で後悔する可能性に思い至ったんですよね
まあ、それでも、私はセミリタイアするのだろうなと確信しているのですが
それは、先述の懸念はあくまで懸念ですが、労働のストレスは確実な未来だからです
別の不幸に陥る可能性があったとしても、労働からの脱出という確実な幸福を得られるのなら、私にとってセミリタイアは割のいい選択になるんじゃないかなと思っています
それに、ナニとは言わんが、「子孫を残せ」なんて遺伝子の命令、割と簡単に欺くことができますからね。ナニとは言いませんけども