SF初心者に「夏への扉」を勧めるの、もうやめにしませんか
山崎賢人主演の邦画の話ではなくて、その原作の話です
SF界隈で定期的に話題になる「SF初心者は何を読めばいいか問題」あるじゃないですか
そういう話題の時に結構な確率でこの「夏への扉」も挙げられます
例えば、「SFマガジン」の「オールタイムベストSF」の投票ではなんと1998年には1位を獲得してます(毎回順位を落とし、2014年版では9位ですがそれでも高いですね)
でもさ...これぶっちゃけ...そんな面白いですか?
単刀直入に僕があまりこの作品を好かない理由は「サイエンス」として面白い要素がないからです
ついでに、よいSFならばおよそ備えている「思索的な要素」もありません
別にサイエンス性や思索性が無ければSF失格というわけではないですけど、せっかくSFというジャンルに興味を持ってくれた人にはそれらの要素を味わって欲しいじゃないですか
実際SFの特色ってなに、となったらまあそういう要素になるわけですし
この作品のあらすじは「親友に彼女も俺の会社もNTRられたけどタイムスリップして復讐してやったぜ、ついでに幼女と結婚したぜ」
マジでこれだけです。タイムスリップもの特有の「過去のあの行動が未来でこう影響するのか!」みたいなやつもないです
そういうのを求めるなら素直にバックトゥーザフューチャーを見ましょう
アニメ好きなら「シュタゲ」もいいですね。普通に夏への扉よりエンタメとして面白いと思います
加えてタイムスリップに至るまでの流れも酷い。「たまたまタイムマシンの研究者と知り合いでした」ってw
たまに「猫好きなら読むべき!」みたいな勧め方もされてますけど、そのような輩も信用してはいけません
だって...言うほど猫関係なくね?
主人公の飼い猫ピートはちょくちょく出てきますけど、別に本筋に絡んではきません。アクセサリーみたいなもんです
「猫のことはとりあえず持ち上げる」みたいなネットのカビの生えたノリのせいなんでしょうか、こういう持ち上げられ方って
「猫」+「古典」この組み合わせでとりあえず持ち上げとけみたいな?
そもそもSFってそこまで古典を尊重すべきジャンルなのかって思います
むしろサイエンスほど変化の激しいものはないですからね
最後にはてな匿名で見つけた「夏への扉叩き」を引用して終わります。めちゃくちゃ頷いてしまったよ
hatena内でオススメのSFをリストアップするのが流行だ。
ホコリの被った旧作(「古典」ではない)ばかり挙げられていて本当に辟易する。
SFはアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダーが重要なのであって、
今さらヴェルヌやウェルズを読んだところで、価値はない(ギブスンやディックも同様)。
そしてこういう「オススメSF」の話題になると必ず出てくるので『夏への扉』を薦めてくるやつだ。
はっきり言えるが『夏への扉』を薦めるやつは見る目がなく、センスに欠けていて、信用できないってことだ。
『夏への扉』は読まなくて結構。今からその理由を端的に3つ述べる。
『夏への扉』は決して猫小説ではない。
『夏への扉』は猫好きなら読んでおくべき、みたいな薦め方もされる。
読んでみて驚いたのだが、これはまったくもって猫小説ではない。
では、猫は何なのかというと、主人公が猫を飼っていて、たまに触れられる程度。
一緒に行動するし、『夏への扉』というタイトルは猫の行動から来ているが、
猫が作品のテーマだったり、猫の行動が何かストーリーに影響を与えるわけでもない。
ただの添え物であり、これを「猫小説」だと思ってしまうやつは、どうかしている。
最近、『世界から猫が消えたなら』という小説が20万部?かそのぐらい売れていたが、
これもとんでもない愚作で、主人公が消失物について浅い思弁を展開するだけの小説とはいえない代物だった。
どうやら世の中には猫が出ていればほかはどうでもいい連中がいるようだ。
猫好きは『綿の国星』でも読みなさい。こっちは掛け値なしの名作です。
プロットが杜撰すぎる
その理由を正すために過去へと舞い戻ることになる。
主人公が未来にきたのは「冷凍睡眠」によってなので、過去に戻ることはできない。
じゃあ、どうやって戻るのか・・・というのが肝になるはずだが、『夏への扉』は驚くべき処理をする。
たまたま未来世界で知り合った男が、たまたま時間旅行を研究しているマッドサイエンティストと知り合いなのだ!
そして、マッドサイエンティストを紹介してもらって過去に戻る・・・なんじゃそりゃ?
ほかのも「たまたま」で処理される部分はいくつかある。たまたま通りがかったとか、たまたま見逃した・・・とか。
それに未来に過去へと行ったり来たりするが、そこでタイムトラベルらしい伏線を張ったり、解消したりということはない。
例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なら、「過去でのあの行動が未来にこう生きてくるのか!」という驚きがあるが、
『夏への扉』では一切そういうのはない。時間移動というより、単なる舞台移動にしかすぎないのだ。
『夏への扉』はタイムトラベルものとしても優れていない。プロットが杜撰な復讐ものなのだ。
ロマンスがご都合主義すぎる
『夏への扉』において、それは一緒に会社を興した男の義理の娘だ。
このヒロインは幼い頃に主人公になついていて、未来世界で主人公と結ばれる。
仲のいい少女がずっと思っていてくれて、未来で結ばれる、というロリコンの白昼夢のような展開だ。
しかし、それでも合理的な説明がなされていてれば文句はない。
ヒロインがなぜ主人公になついているのか、なぜずっと主人公を思っていてくれてるのか(何十年も!)、その説明がなされればいい。
だが、驚くことにそこら辺の理由が一切説明されない。
ヒロインは理由なく主人公になついていて、理由なくずっと待っていてくれるのだ。
これをご都合主義と呼ばずしてなんと呼ぶ。私は読み終わって背筋が凍った。
こんな展開を「感動のラブストーリー」だと思っているやつもいるようで、SFファンはどうりでモテないはずだと合点がいった。
オールタイムベストの類では上位には入ってこないという。
『夏への扉』が人気なのは日本特有のことなのだ。それを知ってはは~んと納得がいった。
中身はないが、何だか心地よい。日本にはそういうものに騙されるやつが多い。
なんていったって『負けないで』みたいな中身空っぽな歌がミリオンになる国だもんな!
『負けないで』に励まされるやつってどんだけ寂しい人生を送っているんだろう。可哀想だ。
うん、おれも仕事がつらいときにたまたまラジオから流れてきて、泣きそうになっちゃったけどな。
お前ら、他人の評価に惑わされるんじゃねえぞ。お前にとって何が面白いのか、知っているのはお前だけだ。